奈良 猿沢池のほとりにある【采女神社】猿沢池に伝わる采女の「悲恋伝説」ゆかりの神社へ行って来ました

采女神社

神社は春日大社の場外にある「末社」

采女(女官)の悲恋のお話

天皇をあまりにもお慕いしていた為、天皇の寵愛が衰えたため自殺をしてしまったというお話

「昔、奈良時代の帝に使える采女(女官のこと)がいました。
とても美しく、多くの人がプロポーズしましたが、
誰とも結婚しませんでした。
帝を心からお慕いしていたからです。
帝は采女を召したけれど、寵が衰え、
采女は、もう生きてはいけない気持ちになり、
夜ひそかに猿沢の池に身を投げて自殺してしまいました。
誰かが帝に申し上げたので、そのことは帝の知るところとなりました。
帝は、不憫に思われて、
“猿沢の池もつらしな吾妹子が玉藻かづかば水ぞひなまし”
(猿沢の池が、私のいとしいあの人が身を沈めるそのときに干上がってくれていたならば)
とお詠みになり、猿沢池のほとりに墓をお立てになったということです。」

なぜかこちらには背を向けています

清少納言は「枕草子」第三十五段で猿沢池についてこう言及しています。

「猿沢の池は、采女の身投げたるをきこしめして、
行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。
「寝くたれ髪を」と、人麿が詠みけむほどなど思ふに、いふもおろかなり。」

(猿沢の池は、昔、采女が身投げした池だということをお聞きになって、
哀れに思った帝が行幸なされたこともある池ですが、
その優しい帝のお心がけはなんと素晴らしいのでしょう。
「寝くたれ髪を」と、柿本人麻呂が詠んだというその時の光景などを思うと、
言葉では言い尽くせないほど素敵に感じます。)

このとき、清少納言が言っている「寝くたれ髪を」とは、
柿本人麻呂が帝にお供して猿沢池を訪れた時に詠んだという
「我妹子が 寝くたれ髪を 猿沢の 池の玉藻と 見るぞ悲しき」
(いとしい乙女の寝乱れた黒髪を、今猿沢池の美しい藻としてみるのは本当に悲しいことです)
というものです。

中秋の名月の日には、采女を偲ぶ「采女祭」が猿沢池周辺で行われます。
華やかな管絃船が雅楽の調べとともに池を巡ります(上の写真は昨年の様子)。
この機会に、猿沢の池を訪れてはいかがでしょうか。
清少納言はきっと羨ましがることでしょう!

住所: 〒630-8218奈良県奈良市樽井町

電話: 0742-22-7788

三条通を東へ行くと猿沢池があります、その手前右手。左には興福寺を望みます。

地図

采女祭/采女神社(春日大社末社)

中秋の名月(令和元年9月12日13日)

 猿沢池の西北の隅には、鳥居を背にした珍しい後ろ向きの神社「采女神社」があります。『大和物語』によると「奈良時代に帝に仕えていた采女(後宮で帝の給仕をする女官の職名)が、帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け、入水したので、その霊を慰めるために社を建てた。しかし、采女は我が身を投じた池を見るにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにした」と伝えられています。
午後5時から花扇奉納行列があり、秋の七草で美しく飾られた2m余りの花扇と数十人の稚児、御所車に乗った十二単姿の花扇使や姉妹都市 福島県郡山市から参加いただいているミスうねめ、NARA CITYコンシェルジュなどが天平衣装をまとって市内を練り歩きます。午後6時から春日大社神官による厳かな神事の後、花扇が奉納されます。 午後7時からは南都楽所の奏する雅楽が流れる中、花扇をはじめ、花扇使・ミスうねめ・NARA CITYコンシェルジュを乗せた2隻の管絃船(龍頭・鷁首)が、猿沢池に浮かぶ流し灯籠の間をぬって池をめぐり、最後には花扇を池中に投じます。

詳しい情報は下記URLへ。

【宵宮祭】 令和元年9月12日(木)
・神事 17時~
【本祭】 令和元年9月13日(金)
・花扇奉納行列 17時~
・花扇奉納神事 18時~
・管絃船の儀 19時~

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